人生において『旅行』するということはとても重要なこと。
新しい場所で、新しい人と出会い、新しい経験をすること、そして新しい自分と出会うことが『旅行』だと私は思います。
介護が必要でも、障害があっても、病気になっても旅行を諦めないで。サポートがあれば大丈夫。
遠く離れた海外に行かなくとも、新しい場所で、新しい人と出会い、新しい経験をすることは出来ます。
新しい自分と出会うために、何歳になっても身体が不自由でも夢を諦めずに旅行に行きましょう!
旅行とは
広辞苑によると、旅とは、定まった地を離れて、ひととき他の土地(場所)へゆくこと、である。大辞泉には「住んでいる所を離れて、よその土地を訪れること」とある。
旅の歴史を遡ると、人類は狩猟採集時代から食糧獲得のために旅をしていた。農耕が行われる時代になった後も、すべての人々が定住していたわけではなく、猟人、山人、漁師などは食糧採集のための旅を行っていた。 その後、宗教的な目的の旅がさかんに行われ始めた。ヨーロッパでは4世紀ころには巡礼が始まっていた。日本でも平安時代末ころには巡礼が行われるようになった。イギリスでは近世になると裕福市民層の子弟が学業仕上げのためのグランドツアーや、家庭教師同伴の長期にわたる海外遊学などを行うようになった。日本では江戸時代にいくつもの街道が整備され、馬や駕籠も整備され、治安も改善されたので、旅がさかんになった。 近代になり西欧で鉄道や汽船などの交通手段が発達すると、ますます旅はさかんになった。
現在の旅は非常に多様であり、さまざまに分類することが可能である。
歴史
現代では一般庶民にも移動の自由が公に認められているわけであるが、昔はそうではない場合のほうが多く、人々は宗教的な巡礼(住まいを離れて聖なる場所へ行き再び住まいに戻ってくること)を理由に旅をすることが多かった。
ヨーロッパでは4世紀ごろには巡礼が始まっており、中世にはキリストの聖杯・聖遺物、あるいはその使徒の遺物が安置されているといわれる大聖堂、修道院への巡礼が盛んに行われるようになっていた。主な巡礼路には、旅する人に宿泊場所を提供し世話をしたり、旅の途中で病になってしまった人をケアするための施設も造られていた(これが、現在のホスピスや病院の起源である)。
日本では8世紀ごろから西国三十三所、四国八十八箇所巡礼などが行われるようになった。
また、近世に入ってからは、イギリスの裕福な市民層の師弟の学業の仕上げとしての「グランドツアー」、家庭教師同伴の長期にわたる海外遊学が広く行われるようになり、それを世話する業者である旅行代理店が登場した。1841年当時のこのような世相からトーマス・クック・グループが創業した。また、こうした流行が明治以降の日本に輸入されて、学校の修学旅行になった。
また、アメリカでは19世紀には金鉱の発見などにより、「西部開拓」という大移動、旅行ブーム(ゴールドラッシュ)を引き起こした。以後、放浪者、「ホーボー」や、ビートニクなどの運動でも旅行は新しい文化の呼び水になった。(ただし、21世紀現代の米国ではパスポート保持者は全国民の3割に過ぎず、外国へ旅行する人の半数は、行き先が、2007年までパスポートが不要だったカナダとメキシコだったという。
日本
狩猟時代、人々は食糧採集のために旅をしており、鳥獣を追って山野を歩き、魚をとるために川を上下した。弥生時代に入ると農民は定住したものの、猟人、山人、漁師などによって食糧採集の旅は継続、また農民以外の職は行商人であったり歩き職人であったりした。当時は人口が少なく、待っていても仕事にならず、旅をして常に新規顧客を開拓する必要があったのである。中世から近世にかけては店をかまえる居商人が次第に増えたものの、かわらず旅をする商人・職人も多かった(例えば、富山の薬売りなど)ほか、芸能民、琵琶法師、瞽女等々もいた。
行政によって強制された旅も多かった。防人では東国の民衆がはるばる九州まで赴いた。また庸調などの貢納品(租庸調という一種の税金)の運搬で、重い荷物を背負って都まで行かねばならず、途中で食糧もつき落命する者が絶えなかった。ちなみに日本の民俗学者の柳田國男は(日本の)旅の原型は租庸調を納めに行く道のりだ、と述べた。食料や寝床は毎日その場で調達しなければならず、道沿いの民家に交易を求める(物乞いをする)際に、「給べ(たべ)」(「給ふ〔たまう〕」の謙譲語)といっていたことが語源であると考えられる、と柳田は述べている。
近世に入り、運送の専門業者が出現したことで、こうした貢納のための強制された旅は激減した。
やがて自由に自発的に行う旅が生まれ発展していった。平安時代末期までは交通の環境は苛酷なまでに厳しかったので旅は苦しく、かつ危険であった。こうした苦難な旅をするのには信仰という強い動機があった。僧侶は修行や伝道のために旅をし、一般人は社寺に参詣するために旅をした。平安末から鎌倉時代は特に熊野詣が盛んであった。室町時代以降、伊勢参りが盛んになり、また西国三十三所、四国八十八箇所のお遍路などが盛んになった。
宿泊費については15世紀には既に畿内で旅籠の定額制が確認され、遅れて16世紀には列島の広域で定着していた。中世後期には既に一般の庶民が広範囲な旅行を行いうる環境が成立しており、遠方への旅行も可能な環境が整備されていた。
それまで徐々に発達してきた交通施設・交通手段が、江戸時代に入ると飛躍的に整備された。徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いに勝つと、翌年には五街道や宿場を整備する方針を打ち出し、20年あまりのうちにそれは実現した。宿場町には、宿泊施設の旅籠や木賃宿、飲食や休息をとるための茶屋、移動手段の馬や駕籠、商店などが並んだ。また貨幣も数十分の一〜数百分の一の軽さのものに変わり、為替も行われ、身軽に旅ができるようになった。またそれまで多かった山賊・海賊も、徳川幕府300年の間にずいぶん減り、かなり安心して旅ができるようになった。
江戸時代には駕籠や馬も広く使われてはいたが、足代が高い事から長距離乗るのは大名や一部の役人などに限られ、一般人は使うとしてもほんの一部の区間だけが多かった。船に乗る船旅も行われ、波の穏やかな内海は比較的安全で瀬戸内海や琵琶湖・淀川水系、利根川水系などでよく行われていたが、外海では難破の恐れもある危険なものであった。農民の生活は単調・窮屈・暗いものであって旅をしたがったが、各藩のほうは民衆が遊ぶことを嫌い禁止したがった。だが参詣の旅ならば宗教行為なので禁止できず、人々は伊勢参宮を名目として観光の旅に出た。庶民の長旅できる機会は、一生に1度かせいぜい2度と、とても限られ、一度旅に出たからにはできるだけ多くの場所を見て回ろうとした。京・奈良などでは社寺の広大さに感嘆し、大坂では芸能浄瑠璃や芝居に酔った[5]。若者の中には宿場の遊女と遊ぶ者もいた。ただし、京見物までするような長旅ができたのはかなり裕福な人や家長くらいのもので、貧しい人々などは近場で我慢したのである。ともあれ、旅が貴族や武士だけでなく、一般民衆にも広まった。現代と比べて娯楽が少ない当時、旅の持つ意味ははるかに大きかった。
また、江戸期には十返舎一九の東海道中膝栗毛などの旅を題材とした旅文学・紀行文や絵画作品も多く作られた。
なお幕末から明治期の駐日イギリス外交官アーネスト・サトウはその著書「一外交官の見た明治維新」のなかで「日本人は大の旅行好きである」と述べている。その理由として、「本屋の店頭にはくわしい旅行案内書(宿屋、街道、道のり、渡船場、寺院、産物などを記載したもの)、地図がたくさん置いてある」ことなどを挙げている。
近代になり、鉄道と汽船が利用できるようになると、一般人でも長距離の移動が楽にできるようになった。1886年、修学旅行の嚆矢とも言われる東京師範学校の「長途遠足」が実施される。東京から銚子方面へ11日間軍装で行軍するという、軍事演習色の強いものであった。
旅の分類
旅の分類と言ってもさまざまな方法があるが、例えば次のような分類が可能である。
- (目的による)修学旅行、慰安旅行、帰省旅行、商用旅行、研修旅行、取材旅行(業務のための旅行は出張と称される)。
- (動機による)新婚旅行、卒業旅行、傷心旅行。
- (参加者による)一人旅、夫婦旅行、家族旅行、社員旅行。
- (参加人数による)一人旅、グループ旅行(個人旅行)、団体旅行。
- (移動手段による)徒歩旅行、自転車旅行、オートバイ旅行(「(オートバイ・)ツーリング」)、自動車旅行、ヒッチハイク、バス旅行(バスツアー)、鉄道旅行、船旅、カヌー・ツーリング、飛行機旅行 。
- (目的地による)温泉旅行 等々、国内旅行 / 海外旅行、宇宙旅行 。
- (形態による)自由旅行 / パッケージツアー、 滞在型旅行 / 周遊型旅行。
- (旅行業法による)募集型企画旅行、受注型企画旅行、手配旅行。
- (その他)無賃旅行(ヒッチハイクも関連)、マイル修行。VRとオンライン旅行
目的地の有無
旅には目的地のある旅と無い旅がある。
一般的に言えば目的地を決めて行われており、目的地がある場合、それが複数の場合とひとつの場合があり、複数の場所(目的地)を移動してゆく旅は英語ではツーリングと言う。目的地では各人の好みで様々な活動をすることになり、例えば、自然を楽しんだり、温泉で身体を癒したり、のんびりと宿で(長期)滞在したり、文化財を楽しんだり、観光を楽しんだり、土地の産物の買い物をしたりするわけである。また、“目的地”は形式的に設定されているだけであまり重要でなく、実質は途中の移動や行為であるような旅、移動中にさまざまなものを見てゆくことのほうがむしろ主たる愉しみとなっている旅もある。
目的地を定めず期間だけを決めて旅に出る人、つまり行き先は成行き(旅先での偶然や必然)に任せてゆく、という旅をする人もいる。また目的地だけでなく期間も定めず、あてどもなく長期の旅に出る人もいる。「放浪の旅に出る」という表現もある。
目的地の例
さまざまありうるが、次のような場所はしばしば目的地に設定されている。
- 親類宅、親友宅、知人宅(VFR)
- 景勝地(風景のよいところ)全般:高原、山麓、山頂、島、滝、洞窟、海岸、湖、湿原、砂漠、砂丘、国定公園、国立公園、世界遺産とされた自然
- 聖地や霊場、教会堂、モスク、仏閣、神社(それらの場所で宗教的な祭を観ることも行われている。)
- 史跡全般:世界遺産とされた建造物
- 都市、有名料理店、有名劇場、有名音楽ホール
- 美術館、博物館、動物園、水族館、植物園
- 温泉地
- 避暑地、休暇村、海水浴場
- テーマパーク、遊園地
- 文学や映画、テレビドラマ、アニメなどの作品のロケ地や舞台となった場所(コンテンツツーリズム)
- ある国や土地の端:最北端・最南端・最東端・最西端、半島や岬の先端
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E8%A1%8C
1 旅の歴史
人はなぜ旅をするのでしょうか。この問いに明確な答えを出すのは、人はなぜ恋をするのかを説明するのと同じくらいに難しいことのようです。人間には旅をする本能があるのだといわれることもありますが、現在でも世界のすべての人が同じように旅ができるわけではありませんし、旅を全くしないと欲求不満になってしまうともいえませんので、人類のすべてが生まれながらに持っている行動傾向を意味する本能の一つとして、旅する理由を説明するのは適当とはいえません。
そして、旅の歴史をみると、人間が旅をする理由は段階的に移り変わってきているのです。
ある交通史学者は、旅の歴史を振り返ると「まず主人の命令とか、生活のための必要に迫られてする旅が最初に発生し、それが長い間、旅の本流を占めていた。そして信仰とか慰みのためとかの自ら好んでする旅の発生は、これにかなり後になって、文化がある一定段階に到達したときに、初めて慣行化されるものである」と述べています。さらに「必要に迫られてする旅」には“生命を守り”生活を維持するための内部からの強圧による旅と、権力からの命令という外部からの強制による旅との2つの種類があったとも説明されています。
世界のどこにおいても、必要に迫られての旅のうちで最初に発生したのは、水や食物を求めた、次には定住することのできる安全な場所を探した、生きるための旅であったといえるのです。次の段階、日本の場合ですと紀元3世紀頃になると古代国家の成立・形成によって、権力者の命令による旅、外部の力によって強制された旅が始まったと考えられます。これらの段階に共通しているのは、自分の意思とはかかわりなく、内からの必要性や外からの圧力によって強制された旅であったということです。やがてこのような旅とは基本的に異なる、各人の自由意思に基づいた「自ら好んでする旅」が少しずつ登場してきますが、まず社会の特権層や上層から始まり、一般民衆がこれに参加できるようになるのは、かなり後になってからのことでした。
私たちが平素使う旅の意味は、ここでの「自ら好んでする旅」のことですが、庶民の旅は除災招福を求めた信仰心によって始まっています。信心の旅は、すでに平安末期にみられましたが、鎌倉時代になって広がりを示し、対象も熊野詣でが伊勢神宮へと次第に移っていきました。室町時代以降になると伊勢崇拝が民衆の間に広く根を下ろし、江戸時代には伊勢参宮はさらに大衆化の傾向を示すこととなりました。伊勢参宮に代表される社寺参詣が盛んになった背景には、現代における旅行の活発化の場合と同様に、さまざまな社会・経済的条件があり、さらに国内治安の安定や貨幣経済の発達もかかわっていました。
もうひとつ忘れてはならないのは、封建体制下においては民衆の移動が厳しく制限されていたにもかかわらず、宗教・信仰の理由による参詣のための旅だけは封建制度を維持する役割に適うものとして社会的に容認されていたということでして、他の理由では認められなかった旅も、社寺参詣を名目とすることによって可能となることから、江戸中期以降にはそれを“タテ前”として掲げるものが現れてきました。自由な旅への意欲は、信仰という理由をつけることによって実現可能であったということなのです。
2 旅をする理由
「自ら好んでする旅」が広がりをみせるようになり、観光が社会事象として認識されるようになるのは20世紀になってからのことですが、多くの人々が参加する大衆観光時代が到来したのは第二次大戦後でして、日本では昭和40年代後半(1970年頃)以降のことでした。
旅をする理由を明らかにしようとする研究も比較的古くから行われ、観光欲求や動機の分類も試みられました。ある研究者は観光を起こさせる欲求・動機を、思郷心・交遊心・信仰心、知識欲求・見聞欲求・歓楽欲求にそれぞれ細分化し、また、身体的動機を治療欲求・保養欲求・運動欲求に、経済的動機は買物目的・商用目的にそれぞれ分類しています。
このような分類は、さまざまな欲求が観光行動にかかわっていることを整理したという点で意味がありますが、治療や保養はひとつの行為であって欲求とはいえず、全般的に欲求・動機の分類というよりも目的の分類です。
大学生を中心とする日本の若者の旅行動機分析が行われたこともありました。そして、旅行動機には、気分転換・自然に触れることなどを理由とする「緊張解除の動機」、皆が行くから・常識として知っておくなどの「社会的存在動機」、未知へのあこがれなどの「自己拡大達成動機」の3つがあることを指摘しました。この結果は、観光が人間のさまざまな欲求・動機とかかわっていることを示したものとして興味深いものでした。
しかし示されているものは、観光行動の欲求・動機というよりも、現代人とくに対象となっている若者が観光という行動を通して充足したいと感じていること、あるいは充足できると期待している事柄であると理解するのが適当なのです。そしてさらに、示されていることの大部分は旅行することそのものではなく、“どこへ・どのような旅行をしたいか”の選択に直接的なかかわりをもった事柄なのです。対象となった彼・彼女たちは、それぞれの期待に応えてくれると思われる情報を選択して、行き先地選択という具体的な行動を起こしているということなのです。
多くの人が「自ら好んでする旅」を自由に楽しむことのできる現代では、旅をする理由もまた多種多様なのです。
3 旅をする人の心理
旅をする人、つまり、日常生活圏を一時離れて、外の世界へと出かけた人に共通してみられる心理的特徴は、「緊張感」と「解放感」という相反する感覚が同時に高まることにあります。日常生活を離れた、よく知らない土地では不安感が強まりやすく、外部環境の変化にすぐに対応できるように、心身ともに反応可能の状態を維持しようとします。この状態であることの意識が「緊張感」でして、感受性を高めることに作用し情緒的反応も活発になります。出会ったものごとに対しての快・不快、好き・嫌いなどの印象は強くなり、平素とは違うものに興味を感じる傾向がみられ、とくに外見的な珍奇さに心をひかれやすくなります。
同時に、日常生活から離れることによって生活にかかわるさまざまな煩わしさを一時的にせよ忘れることができるために“気楽さ”を感じることができ、この状態であることの意識が「解放感」であって、人間を肉体的にも精神的にもくつろがせてくれるのです。
楽しむことを目的とした旅行の場合であっても、肉体的疲労だけでなく精神的疲労を覚えることが多いのは緊張感が生じるためです。一方、なんらかの目的を持っての旅行の場合であっても、楽しさを伴うのはそこに解放感があるからなのです。このような相反する意識の組み合わせによって、旅をする人の心理はつくられています。
そして、どのような観光行動であるかによって、それぞれ緊張感と解放感の組み合わせ方が異なってきます。個人での旅行か、団体の一員としての参加かという行動形態による影響があり、個人型の場合は、すべてを自分自身で対応する必要があるため緊張も高くなりますが、その半面、旅先での印象が強く、思い出となることも多いのも、ひとり旅なのです。これに対して団体型では“仲間”がいるために相互に緊張の高まりが軽減されやすく、解放感のほうが強くなる傾向にあります。
旅行目的に関しては、何かを学ぶことを主目的とする「教養型」と気晴らし・楽しみを求めている「慰安型」とでは心理状態は基本的に異なっており、一般に前者は緊張感が強く、後者は解放感がより強くなりやすいのです。
このように、観光行動類型からみると一般に「解放感優位型」となりやすいのは、楽しみを目的とした団体旅行の場合であり、学ぶことを目的とした個人旅行の場合の「緊張感優位型」と対称的です。
4 旅の楽しさ
その理由や目的を問わず、旅をすることは、日常生活を一時的に離れて自己を見直すという意味を共通して持っています。平素とは違った環境での、自然や文化あるいは人々との出会いは、自己確認と発見の新たな機会をつくってくれるのです。とくに、美しい・楽しい・美味しいなどの感情を伴っている場合、人間をより豊かな世界へと導く作用を持っているのです。人を知識面だけではなく精神面でも成長させてくれる機会として旅を利用することが大切なのです。そのためには、新しい体験を楽しいものとして受け止める姿勢が求められるのです。旅の価値を決めているのは旅をする人自身の気持ちであり、心構えなのです。
旅で体験した“忘れられない思い出”を多くの方に伺ったことがありました。
ある中年男性は、北海道のバスツアーに参加した時のことを語ってくれました。
各地から集まった、互いに見知らぬ人々が一台のバスに乗り込むことからバスツアーが始まります。ツアーが終わりに近づいた頃、原野の真っ直中で、バスのエンジントラブルというハプニングが起こりました。現在ですと、無線や携帯電話がありますが、当時は適当な方法がなく、連絡できる場所まで乗客全員でバスを押すことになってしまいました。最初はいやいやだった人たちが、次第に積極的に参加するようになっていきました。
この話は、まもなく発見したガソリンスタンドで応急修理ができ、無事に旅行が続けられた、ということで結びとなるのですが、バス押し作業に協力し合ったことをきっかけとして、参加者全員の親密度が急速に強まり、その後、お互いの会話が弾むようになったというオマケがついていました。
大自然の中でのちょっとした労働体験と助け合ったことが、連帯感と感動を呼び起こしたことがその理由なのだろうと思います。旅ではハプニングが起きることもありますが、それを新しい発見の機会とする気持ちが大切なのです。
もうひとつ、グルメを自負している人が、ガイドブックで最上位にランクされている有名レストランのシェフに話を聞く機会があり、かねてから知りたいと思っていたことを尋ねた時の話しです。
「レストランを利用する時に、美味しく食べるための秘訣は何ですか?」の質問に対し、シェフはスマイルを浮かべながらこう話したそうです。「あなただけにそっとコツをお教えしましょう、それはお腹を空かしていくことですよ」と。
旅をする場合にも同じことがいえるのです。平素の生活環境から離れて、いろいろな物事に出会います。それをどう活かすかは、旅をする人自身の受け止め方であって、何を感じるかなのです。このような感じる力が“感光力”と称されるものなのです。
旅行業に勤務していた友人が視覚障害者の方々のアメリカ旅行に同行したことがありました。グランドキャニオン見物は希望があれば、ということでオプショナルツアー扱いだったのですが、全員がこのツアーにも参加されました。そして最も印象に残った場所として、多くの方がグランドキャニオンをあげ、大渓谷でしか味わえない冷たい空気の流れが楽しかったとの感想を寄せられたそうです。この旅行に参加された方々の感光力の素晴らしさに私は強く感動しました。
楽しい旅、素晴らしい旅は、豊かな感光力を伴った旅人自身の気持ちと意欲とによって実現される面をかなり持っていることを忘れてはならないのです。
(まえだいさむ 社会学博士、立教大学名誉教授、日本観光研究学会元会長)https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n291/n291002.html